大角幸枝(おおすみゆきえ)氏は、日本の金属工芸分野で女性として初めて「鍛金(たんきん)」の人間国宝に認定された作家です。
銅や銀などの金属を金槌で打ち延ばし、造形する鍛金の世界で、柔らかさと力強さを兼ね備えた独自の作風を確立しました。

その背景には師系や学びの歩みがあり、数々の代表作を通して日本の金属工芸に新たな地平を切り拓いています。
しかし、その功績や作品の魅力を正しく理解するには、作風の特徴や師系、代表作を知ることが大切でしょう。この記事では、大角幸枝氏の人物像から作品世界まで詳しく解説します。

大角 幸枝とはどのような人物か?


大角幸枝(おおすみゆきえ、1945年生)氏は、日本の金工芸を代表する作家であり、重要無形文化財「鍛金(たんきん)」保持者として知られる人物です。
静岡県掛川市の出身で、東京藝術大学で学んだのち、本格的に鍛金の道を歩み始めました。

薄い金属板を叩き出し、成形と装飾を施す鍛金の技法を駆使しながら、現代性を兼ね備えた造形を展開してきました。
その作品は工芸の伝統を受け継ぎつつも新たな美を提示し、国内外で高く評価されています。

さらに、教育や後進育成にも尽力し、長年にわたって日本工芸会を牽引してきました。
ここでは、学びの背景、認定分野、主な受賞歴に焦点をあてて紹介します。

1945年・静岡県掛川生まれ/東京藝術大学での学び

大角幸枝氏は1945年に静岡県掛川市に生まれました。幼少期から手仕事や美術に関心を持ち、やがて金属を扱う工芸に魅力を見出します。

進学先として選んだのは日本の芸術教育の最高峰である東京藝術大学で、美術学部芸術学科を専攻し、1969年に卒業しました。
卒業後に鹿島一谷、関谷四郎、桂盛行に師事して鍛金技法の基礎を徹底的に習得し、作家としての道を志すようになります。

大学での学びと師匠からの指導によって培った経験は、その後の創作活動の核となり、鍛金の繊細さと力強さを両立させる独自の作風へと結実していきました。
東京藝術大学での学びとその後の修業は、大角氏が日本の金工界で頭角を現すための確固たる土台を築いた時期といえるでしょう。

認定分野:重要無形文化財「鍛金(たんきん)」の到達点

大角幸枝氏は鍛金の分野で長年にわたり活躍し、その到達点として2015年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
鍛金は金属板を叩き出して成形する技術であり、金属の持つ冷たさを超えて温かみや柔らかさを表現できる高度な工芸技法です。

大角氏の作品は、伝統技術の正確さと現代的な造形感覚を融合させている点に特徴があります。
花器や茶道具から抽象的なオブジェまで、幅広い作品群は、金属が持つ質感や光沢を最大限に引き出し、観る者に新たな感覚を与えてきました。

大角の歩みは、鍛金という伝統分野を次世代へつなぐ道筋を示すものであり、工芸史において大きな意味を持っています。

主な受章歴:紫綬褒章・旭日小綬章・日本伝統工芸展受賞

大角幸枝氏は日本伝統工芸展において1987年の総裁賞など数多くの入選・受賞を重ね、金工分野の第一人者としての地位を確立しました。
さらに、2010年には文化活動への長年の貢献により紫綬褒章を受章し、2017年には旭日小綬章が授与されています。

これらの叙勲は、大角氏の創作活動が個人的な芸術の枠を超え、日本の文化全体に資するものであったことを示しています。
豊富な受賞歴は、その技術力と表現力が国内外で高く評価されてきた証であり、大角氏の存在が日本工芸界の発展に寄与してきたことを物語ります。こうした業績は、今後も後進の模範として語り継がれていくでしょう。

作風の核と技法──鍛金×彫金×布目象嵌の三位一体

大角幸枝氏の作風は、伝統的な鍛金を基盤にしつつ、彫金や布目象嵌を融合させた総合的な金工表現にあります。
地金を打ち出して造形を整える鍛金、細部に彫りを加えて陰影を際立たせる彫金、さらに金・銀・鉛・プラチナを象嵌する布目象嵌を三位一体で組み合わせることで、他に類を見ない豊かな質感と立体感を実現しました。

金属の硬質さを超えて柔らかな波や雲の流れを表現できる点は、大角の独自性を示すものであり、従来の金工を新しい領域へと押し広げています。
ここでは、布目象嵌の美意識、器形の造形美、代表作と所蔵先について詳しく紹介します。

布目象嵌の美意識:金・銀・鉛・プラチナの織り成す輝き

大角幸枝氏の作品に欠かせないのが布目象嵌の技法です。これは、地金表面に細かな布目状の溝を彫り、そこに金・銀・鉛・プラチナといった異なる金属を埋め込むものです。

布目状の刻みは細密で均一でなければならず、その精度が象嵌金属の輝きと定着性を左右します。
大角はこの技法を駆使し、金属同士の微妙な反射をコントロールすることで、単一の金属では表せない奥行きと色彩を表現しました。

特に光源によって輝きが変化する布目象嵌は、自然の移ろいを映し出す意匠と響き合い、観る者に常に新しい印象を与えます。
こうした緻密な作業を通じ、大角は金工に絵画的な表現力を持ち込み、工芸を超えた芸術性を確立しました。

器形の造形美:稜線・量感・地金の色で描く「波・雲・風」

大角の鍛金作品は、器形そのものが自然の力を象徴する造形美を備えています。
稜線の鋭さや地金の量感を巧みに生かし、波のうねりや雲の漂い、風の流れを抽象的に描き出す点に特色があります。

銅や銀を打ち延ばす鍛金の工程で、薄さと強度を両立させつつ、面の張りや曲線の緊張感を追求しました。
さらに、地金の持つ赤銅色や銀白色をそのまま意匠に取り込み、布目象嵌の金属色との対比でダイナミックな表現を生み出しています。

器形は単なる容器ではなく、自然現象を造形化した象徴的存在として成立しており、観る者に大気や水の広がりを想起させます。
大角氏の作品は、伝統工芸の枠を超えた「自然の詩」を金属で奏でるものといえるでしょう。

代表作と所蔵先:銀打出花器「大潮」ほか/国内外主要館

大角幸枝氏の代表作のひとつに、銀の打ち出しによって2023年に制作された花器「大潮」があります。
波が寄せては返す海の力を象徴的に造形したこの作品は、鍛金の厚みと布目象嵌による光の表情が一体となり、迫力ある存在感を放っています。

そのほかの作品も自然を主題に据え、金属表面に刻まれた微細な象嵌模様と造形が融合して独特の世界観を築き上げています。
大角氏の作品は日本伝統工芸展や個展を通じて高い評価を受け、国内では国立近代美術館工芸館など、海外ではヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、スミソニアン国立アジア美術館(ワシントンD.C.)などに収蔵されています。

これらの作品群は、鍛金の技術を芸術的領域へ高めた成果として、現代工芸史に確固たる位置を占めています。

師系とキャリアの転機

大角幸枝氏の歩みは、師から受け継いだ技法と、自ら切り開いたキャリアの転機によって形づくられました。
鹿島一谷・関谷四郎・桂盛行といった金工界の重鎮から伝統的な鍛金の技を学び、その基礎を徹底的に身につけたことが出発点です。

さらに、日本伝統工芸展での受賞や評価によって全国的な知名度を高め、海外での研修経験が作風に新たな視点を与えました。
そして2015年、女性として初めて金工分野の重要無形文化財「鍛金(たんきん)」保持者に認定される快挙を果たし、その地位を確固たるものとしました。ここでは、師系と学び、国内外での評価、そして保持者認定の意義について掘り下げます。

鹿島一谷・関谷四郎・桂盛行に学ぶ金工の継承

鹿島一谷氏


大角幸枝氏は1969年に東京藝術大学美術学部芸術学科を卒業後、金工の巨匠である鹿島一谷から鍛金の基本と表現力を学んでいます。

関谷四郎氏

出典:公益社団法人 日本工芸会

関谷四郎から精緻な細工と造形美への徹底した姿勢を学んでいます。

桂盛行氏


桂盛行から布目象嵌をはじめとする高度な装飾技法を学びました。

これら三氏の教えは、大角氏の技術的基盤となり、後の独自表現の支えとなっています。
特に布目象嵌の細密な作業は、代表的な表現手法として作風の核に定着しました。

師から学んだ確かな基礎に加え、女性作家としての独自の感性を融合し、大角氏は伝統と革新を調和させた作品を生み出してきました。

日本伝統工芸展での評価

大角幸枝氏は日本伝統工芸展において繰り返し入選・受賞を果たし、金工分野の第一人者としての評価を確立しました。
これにより、日本工芸会の活動にも深く関わり、次世代を担う作家として注目されるようになりました。

このような国内での評価と活動を基盤に、大角氏は鍛金技法の伝承と新たな表現の探求を続けています。

2015年保持者認定の意義:金工分野で女性初の快挙

2015年、大角幸枝氏は重要無形文化財「鍛金(たんきん)」の保持者に認定されました。
これは日本の金工分野において女性として初の快挙であり、伝統工芸界全体にとっても画期的な出来事でした。

それまで金工は長く男性中心の世界とされてきましたが、大角の認定は技術力と作品性が性別を超えて正当に評価された証しといえます。
また、後進の女性作家たちにとって大きな励みとなり、工芸界に新しい道を拓きました。

保持者認定は単なる個人の栄誉ではなく、金工の未来における多様性の拡大と技術継承の新たな可能性を示すものです。
大角の存在は、工芸の伝統を守りながらも社会的意義を持つ存在として、今も高い注目を集めています。

まとめ

大角幸枝氏は、鍛金・彫金・布目象嵌を自在に操り、金属に生命感と詩情を与える作品を生み出してきました。
鹿島一谷・関谷四郎・桂盛行らから学んだ確かな基盤をもとに、日本伝統工芸展で高く評価されました。

2015年には女性として初めて重要無形文化財「鍛金(たんきん)」の保持者に認定され、その歩みは伝統工芸界に新たな道を切り開いたといえます。
代表作は国内外の美術館に収蔵され、今日も多くの人々に感動を与えています。
大角幸枝氏の存在は、伝統を受け継ぎつつ革新を重ねる現代工芸の象徴であり、後進への大きな指針となっているのです。

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日本の伝統工芸の魅力を世界に発信する専門家集団です。人間国宝や著名作家の作品、伝統技術の継承、最新の工芸トレンドまで、幅広い視点で日本の工芸文化を探求しています。「Kogei Japonica 工芸ジャポニカ」を通じて、伝統と革新が融合する新しい工芸の世界をご紹介し、日本の伝統文化の未来を世界とつなぐ架け橋として活動を行っています。

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