ギャラリーや美術館で美しい陶磁器(Ceramics)を前にしたとき、その深い色合いや複雑な模様に目を奪われる方は多いはずです。
しかし、それらが単なる「絵の具」で描かれたものではなく、土と鉱物、そして炎が引き起こす劇的な「化学反応」の結果として生まれていることを知ると、作品の鑑賞体験は一段と知的で豊かなものに変わります。
本記事では、国内外のコレクターや陶芸初心者の方々に向けて、陶磁器の基礎知識(Basic Knowledge of Ceramics)である「釉薬(ゆうやく / Glaze)」と「焼成(しょうせい / Firing)」のメカニズムを整理し、色の成り立ちを科学的視点から解説します。
この記事で押さえておきたい、最も重要なポイントは以下の3点です。
- 釉薬の基本:釉薬(Glaze)は、灰や長石などの鉱物を主成分とするガラス質のコーティングであり、素地(Clay body)の防水性や強度を高めると同時に、含まれる金属元素(鉄や銅など)によって多彩な色を生み出します。
- 焼成による色の変化:窯の中に十分な酸素を供給する「酸化焼成(Oxidation Firing)」と、酸素を制限し不完全燃焼状態をつくる「還元焼成(Reduction Firing)」があり、焼き方の違いによって金属元素の酸化状態が変化し、劇的な発色の違いをもたらします。
- 偶然の美しさ:窯内の環境要因で予測不能な変化を示す「窯変(Yohen)」や、冷却時の収縮率の差から生じる細かなヒビ「貫入(Crazing)」は、科学的現象でありながら、世界中の愛好家が「不完全の美(Wabi-Sabi)」として熱狂する象徴的な景色です。
それでは、炎と化学が交差する陶芸の深淵なる世界へご案内いたします。
目次
釉薬(Glaze)とは?うつわを包み込む「ガラス質の衣」の秘密
陶磁器の表面を覆うツヤのある層は、色付けのための単なる塗料ではありません。
陶磁器の基礎知識としてまず押さえておきたいのが、釉薬(ゆうやく・うわぐすり / Glaze)とは、素地(Clay body)をコーティングする「ガラス質の衣」であるという事実です。高温焼成によって溶融し、冷却時にガラスとして固化することで、うつわに防水性や強度を与えます。
同時に、光を透過・反射することで独特の奥行きを生み出す芸術的なキャンバスでもあります。
木灰と長石から生まれる自然の化学反応

古の陶工たちはこの自然の奇跡を応用し、木灰、長石(Feldspar)、珪石(Silica)などの鉱物を意図的に調合して人工の釉薬を発展させました。
現代の専門ショップで扱われる釉薬も、基本的には「ガラス成分」と「融剤(Flux)」、そして必要に応じて発色剤を組み合わせた化学的配合で成り立っています。
金属元素が引き起こす多彩な発色メカニズム
透明なガラスの層に色を与えるのが、釉薬に溶け込む微量の金属元素です。鉄(Iron)、銅(Copper)、コバルト(Cobalt)といった金属が、焼成中に酸化状態を変化させることで無数の色彩を生み出します。
たとえば、微量のコバルトを加えれば深い瑠璃色が生まれ、鉄は条件により茶褐色から青磁色まで幅広く変化します。これらは顔料をベタ塗りにしているのではなく、ガラス層内部でのイオンの光学的作用による「発色」という、精密な科学的メカニズムなのです。
焼成(Firing)の魔法:炎が色を決定する「酸化」と「還元」
釉薬に調合された金属がどのような色を見せるのか。その最終的な運命を握っているのが、窯を焚く「焼成(Firing)」の環境です。
日本の陶芸において、同じ釉薬を使っても焼き方ひとつで色が180度変わるという現象は、科学とアートが交差する最大のドラマと言えます。
酸素を与える「酸化焼成(Oxidation Firing)」
窯の中に新鮮な空気を十分に取り込み、完全燃焼させながら焼き上げる手法を「酸化焼成(Oxidation Firing)」と呼びます。
この環境下では、釉薬の中の金属元素が酸素と結びつき(酸化状態となり)、安定した色を示します。一般的に、銅を含む釉薬は鮮やかな緑色に、鉄は温かみのある褐色系に発色するのが代表例です。電気窯を用いた現代の陶芸においても、この環境が基本となります。
酸素を奪う「還元焼成(Reduction Firing)」が生む奇跡
一方、窯の空気穴を絞り、酸素を制限して意図的に不完全燃焼状態をつくる手法が「還元焼成(Reduction Firing)」です。炎が燃え続けるために釉薬や土に含まれる酸素を無理やり奪い取る(還元反応が起こる)ことで、劇的な化学変化を引き起こします。
代表例として、酸化焼成では緑色になる銅釉が、還元環境下ではまるで血のように深く神秘的な赤色(辰砂 / Copper Red, Shinsha)を呈することがあります。ただし、温度や冷却速度など複数条件が関与するため、安定的な再現は容易ではなく、高度な焼成管理が求められます。
【色別】代表的な釉薬の景色と、その裏にある科学
釉薬と焼成の基本メカニズムを理解した上で、愛好家が知っておくべき代表的な「釉薬の種類(景色)」を色別にご紹介します。
これらを図鑑的に紐解くことで、ギャラリーでの作品鑑賞やコレクション選びがより一層奥深いものになります。
鉄釉(Iron Glaze)が魅せる黒・茶・青の世界
日本をはじめとする東洋の陶芸において、最も古くから親しまれ、多様な変化を見せるのが鉄を含んだ「鉄釉(Iron Glaze)」です。
酸化焼成では、鉄分が酸素と結合して飴釉(Amber Glaze)や柿釉(Persimmon Glaze)などの温かい褐色系となります。
一方、微量の鉄を含む釉薬を還元焼成すると、鉄の酸化状態(二価・三価の状態変化)が変わり、透き通るような青緑色を帯びた「青磁(Celadon)」が現れます。鉄という一つの金属が、炎の性質によって黒、茶、青という全く異なる世界を描き出すのです。
銅釉(Copper Glaze)が生み出す緑と辰砂(Copper Red)のドラマ
鮮やかな色彩で食卓や茶席を彩るのが「銅釉(Copper Glaze)」です。桃山期の革新的意匠を象徴する「織部釉(Oribe Glaze)」は、銅を酸化焼成することで生まれる深い緑色を特徴としています。
これに対して、還元焼成によって現れる奇跡の赤「辰砂(Copper Red)」は、微細な銅の粒子がガラス層の中で分散することにより発色する高度な現象であり、その鮮烈なルビーレッドは古くから中国や日本の権力者たちを熱狂させてきました。
偶然と必然が織りなす芸術。「窯変(Yohen)」と「貫入(Crazing)」
海外のコレクターやアーティストが日本の陶磁器に最も強い関心を寄せるのが、計算し尽くされた完璧さではなく、自然がもたらす「不完全の美(Wabi-Sabi)」です。
初心者には一見「傷」や「色ムラ」に見える科学的エラーを、かけがえのないアートとして捉える思想は、日本独特のものです。
炎が描く予測不能な模様、窯変(Yohen)の魅力
窯内の温度分布、炎の流れ、薪の灰の付着など、複数の要因が重なり合うことで、釉薬が作家の予測を超えた変化を示す現象を「窯変(Yohen / Color Mutation)」と呼びます。
その象徴的存在であり最高峰とされるのが、漆黒の中に星がきらめくような模様が浮かぶ国宝「曜変天目(Yohen Tenmoku)」です。現代の科学を以てしても安定的な完全再現は極めて難しいとされており、土と炎が偶然に生み出す一期一会の奇跡として、高い投資価値と芸術的評価を誇ります。
「傷」を「景色」に変える貫入(Crazing)の美意識
窯から出されたうつわが冷えていく過程で、「ピン、ピン」という音とともにガラス層に入る微細な亀裂。これを「貫入(Crazing)」と呼びます。素地(土)と釉薬(ガラス)の熱膨張率(収縮率)の差という物理現象によって生じるもので、西洋においては長らく「欠陥」と見なされてきた歴史があります。
しかし、日本ではこの貫入に墨や茶渋が染み込み、年月とともにうつわの表情が育っていく過程を「景色」として愛でます。「傷」を美しさに転換するこの価値観は、金継ぎ(Kintsugi)にも通じるクワイエット・ラグジュアリーの真髄と言えます。
2026年、科学的視点で深まるうつわの鑑賞と選び方

愛知県陶磁美術館公式サイト:https://www.pref.aichi.jp/touji/index.html
作家の意図と「自然の力」のバランスを楽しむ
陶磁器の歴史は、そのまま人類が科学的現象をいかに制御し、芸術へと昇華させてきたかの試行錯誤の歴史でもあります。酸化か還元か、鉄か銅か、偶然か必然か。
その選択の積み重ねが、一点のうつわの個性を形成します。
ギャラリーで一つひとつのうつわを手に取るとき、釉薬と焼成のメカニズムを理解していることは単なる知識ではなく、作品の背景を読み解くための強力な視点となります。
科学的視点を備えることは、作家の意図と自然の作用の両方を読み取り、日本の伝統工芸が放つ本質的な豊かさを深く味わうための、2026年における最高のリテラシーとなるはずです。


